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柳下さん×宇多丸さんの刊行記念イベント報告

10月23日(金)に新宿ジュンク堂で催されました、
『フロム・ヘル』訳者の柳下毅一郎さんとライムスターの宇多丸さんによる
下記対談イベントの模様を一部ご紹介します。

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JUNKU トークセッション
2009年10月23日(金)18:30〜
A・ムーア×E・キャンベル『フロム・ヘル』日本語版(みすず書房)刊行記念
柳下毅一郎(翻訳家)×宇多丸(ラッパー)
「コミックで世界を解く──魔術師アラン・ムーアの世界」
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宇多丸さんと柳下さん

《トピック一覧》

●「ほとんどカメラの動きに近いような指定がある」──スクリプトについて

●「最初の時点で完全にこれ級の構成が出来てないと、 話がはじめられないプロットですもんね」──構成について

●「完全にカモメ捕りに乗せられちゃってるんですが」──ナイトの説と『フロム・ヘル』

●「日本のマンガを読みなれていて、これもマンガだと思って読むと、 これは明らかにマンガじゃない」──日本のマンガとの違い

●「『ウォッチメン』を、ドクター・マンハッタンを主人公にして描くとたぶんこういうふうになる」──『フロム・ヘル』の時空感覚

●「どの程度ムーアは本気でこの説を……」──ムーアのバランス感覚

●「でも“それだけではない部分があるんじゃないか”ってことを信じてるんじゃないかって気がする」──ムーアのバランス感覚、その2

●「われわれ後世の人間たちが、“これはすごい事件だ”ということで事件をほじくり返して、死体を堀り、えんえんと弄んできた」──結末について
〔最後のトピックはネタバレ度が高いので、その点ご留意ください。〕

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「ほとんどカメラの動きに近いような指定がある」──スクリプトについて

柳下:最初にちょっと説明しておかなきゃいけないんですけど、みなさんの席の上に置いてあったのが『フロム・ヘル』のスクリプト、要するにアラン・ムーアが書いてエディ・キャンベルに渡したスクリプトが、たまたまエディ・キャンベルのブログで公開されていたので、今回のイベントのためだけに一部訳してみたものです。5章冒頭の説明

〔訳出されたスクリプトと対応するページが前の画面に映し出される。最初は第五章の冒頭のページ

宇多丸:出ましたね、いやな、いやなセックスシーン。セックスシーンをやな感じで描く作家っていうのは嫌ですね!
聴衆:(笑い)
柳下:これは第五章の第1ページです。要するにムーアが「こういうふうに描け」という指示をエディ・キャンベルに送って、それをもとにしてエディ・キャンベルがこういう絵を描いているということです。全部は説明できないんですけど、帰ってご自宅で絵と比べてみるとわかるのですが、これ、結構(実現した内容とは)変わってるんですね。「最初のコマはオーストリア北部ブラウナウの街の郊外に建つ小さな二階建ての建物の空撮である」っていうんですけど。
宇多丸:全然違いますね。なんか、アパートっていうか。
柳下:これはヒトラー家なんですね。
宇多丸:ヒトラーのお父さんとお母さん。
柳下:どうやらムーアは、ヒトラー家がどういう建物かっていうのがわからなかったので、おそらくこんな感じだろうところを書いていた、と。それをエディ・キャンベルが調べたら、違ったと。
宇多丸:エディ・キャンベルが調べて、“アパートじゃないか、当時住んでたのは。種付けはアパートだった!”と。それを補ってるんですね。
柳下:そう、補ってる。だからそういう部分は結構自由。
宇多丸:自由っていうけど、これ細かいですよね、やっぱり(笑)。
柳下:ものすごく細かい!(笑)
宇多丸:これ(この細かさでの指定)をコマごとにする原作者っていないでしょう、ふつう。
柳下:ご存知だと思うんですけど、たとえば梶原一騎さんの原作って原稿用紙に書いてあるんですよね。
宇多丸:それじゃ小説じゃねえかってことですね。
柳下:そう、梶原一騎さんの原作は小説で、(原稿用紙に)わーっと書いてあるんですけど、これ(ムーアのスクリプト)はコマごとに何をどんなふうに描いてって、細かく指定してあるんですよね。
宇多丸:しかもほとんどカメラの動きに近いような指定がある。
柳下:これ読んでておもしろいのは、“ズームインする”とか“われわれ(紙面を見る人)はどこに居て視点がどこにある”っていうのを細かく指定してあるんですよ。
宇多丸:「われわれはカップルが交接中のベッドを上から見下ろしている」とか。
柳下:映画ですね。
宇多丸:映画の手法というか……
柳下:映画のメタファーをつかって説明してるということですよね。映画のカットを一カットずつ説明しているという感じ。
宇多丸:体位まで指定してありますからね!
柳下:(笑)
宇多丸:ヒトラーが受胎したときはやっぱり正常位だろうってことですかね(笑)。「肉付きは……」とかね。
 ※「わたしは二人はどちらも肉付きのいいタイプであり、肉体的な意味ではとりたてて魅力的ではないと考えている」という記述のこと。

「最初の時点で完全にこれ級の構成が出来てないと、話がはじめられないプロットですもんね」──構成について

柳下:あともうひとページ(第五章、p. 22)、これは殺人が始まるところです。可笑しいんですけど、「このページは七コマで、ガルとネトリー、連続殺人界のローレル&ハーディは……」って、何だそれは?っていう(笑)。柳下さんと5章
聴衆:(笑い)
※ ローレル&ハーディ:サイレントからトーキーの時代にかけて活躍したアメリカの人気お笑いコンビ
宇多丸:……ムーア一流のギャグが入って(笑)。ここは、この二人のずれた掛け合いがいいってことなんですかね?
柳下:ここはギャグの部分で、真っ暗なホワイトチャペル、ホワイトチャペルがいかに真っ暗かというのをここで示しておいて、真っ暗なところで(ネトリーが標的の女に目印として)「黒いボンネットをやった」って……見えねえだろう!っていう。
宇多丸:なるほどそういうことなんだ!
柳下:(ガルが)「お前のいちばんはっきりした特徴はなんだかわかっているか?」(ネトリーが)「いえ、考えたことないです」(ガル)「それだよ」っていう(笑)。
聴衆:(笑い)
宇多丸:ああ、ギャグなんだ、“黒いボンネットとは思慮深きことよ”(ガルがネトリーに言うセリフ)ってそういうことか!
ボンネットのコマ柳下:あと、ここも(スクリプトと実際のページでは)変わってて、ス クリプトでは最初のコマがセリフなしの予定だったんですが、上が詰まりすぎるからセリフの始まりを一コマずらした。でもこのあたりは、前後のページを見て いくとわかるんですが、すべて七コマの並びなんです。最初の六コマでストーリーをやって、七コマ目にホワイトチャペルの情景を入れるっていうページが何 ページか続いているんです。
宇多丸:この大ゴマがあって、細かいリズムが続いて、また大ゴマっていう、そういうリズムで読ませるってことですね。
柳下:だからムーアは一コマずれたらそのリズムが壊れるってことを気にしていたということなんですが……そんなの(読んでいるほうは)わからないですけど。
宇多丸:でも要は、アラン・ムーアとしては本になったときのリズムとか構成が完全に頭の中で出来ているってことですよね。
柳下:何がすごいって、この本って十年かけて描いているわけじゃないですか。
宇多丸:しかも途切れ途切れでね。
柳下:そう、途切れ途切れでほぼ十年かけて描いてるんですけど、それでこの構成が全部出来上がっているのはすごいですよね。
宇多丸:最初の時点で完全にこれ級の構成が出来てないと、話がはじめられないプロットですもんね、これは
柳下:これを読んでてもよくわかるんですけど、ムーアってすごいコントロール・フリーク。自分ですべてをコントロールしないと気が済まないって人で、コントロール・フリークっていう人はふつうによくいるんですけど、このレベルで出来る人はなかなかいないですよねえ。

「完全にカモメ捕りに乗せられちゃってるんですが」──ナイトの説と『フロム・ヘル』

宇多丸:切り裂きジャックをめぐる話として(『フロム・ヘル』の原作の)元にしたってムーア本人が言ってるスティーブン・ナイトの『最終結論』──〔持参の『最終結論』を会場に示しながら〕自分がこんなもん買うようになるとは思いませんでしたけど(笑)。完全にカモメ捕りに乗せられちゃってるんですが(笑)。
柳下:これ読もうと思ったのは『フロム・ヘル』読んでからですか?
宇多丸:読んでからですよ、もちろん。だって註釈読むだけで、こんなもん(『最終結論』)読んじゃダメって思うじゃないですか。マズい本だって。
柳下:これは結構あぶない本ですよね。
宇多丸:あぶない本ですよね。これだけ読んだら「こんなもん真に受けるか!」って話なんだけど。アラン・ムーア自身はこれ、「スイス時計のようによくできた理屈だから」って言ってるんですけど……そんなにこれ自体は緻密な説じゃないんですよね。
柳下:そんなたいしたことない。思いつきと噂話で“こんな感じかな?”っていう程度の(笑)。“フリーメイソン、どうも怪しいぜ、あいつらは”というレベルの話で、『フロム・ヘル』みたいに緻密な、精密な、それこそまさにスイス時計のような細工ではないですよね。
宇多丸:だからこれ、スイス時計にしたのは実はやっぱりアラン・ムーアなんですよね。ものすごい雑な歯車がムーアには(『最終結論』を読んだときに)見えて、「ああ、これ、こっちに繋げればものすごくいい機械できるんじゃない?」ということかと。
柳下:「こいつ発想はいいけど、ちょっと甘いんじゃない?」って、つい、組み直してきっちり作っちゃう。
宇多丸:そうしたら「このほうがいいじゃん」みたいな感じになって、それで、たぶんこれから僕らが切り裂きジャックの話を何度聞かされても、あの説得力にはかなわねえなと思わされる物語が出来たわけですよね。どう考えてもこんな話あるわけないのに(笑)、こうだったとしか思えなくなっちゃって……っていうぐらいよく出来た話になっちゃうんですね。

「日本のマンガを読みなれていて、これもマンガだと思って読むと、これは明らかにマンガじゃない」──日本のマンガとの違い

宇多丸:(会場に向かって)みなさんこれ、こういう話してますけど、「ネタバレだ!」とか怒り出す人はいないんですかね? まだ読んでない人。
柳下:まだ読んでない人がこれ聞いても全然何の話かわからないですね(笑)。
宇多丸:まだ発売から日にちが経ってないんで、まだ一周目か、二周目はいったぐらいの人が大半だと思うんですが。僕はもうさすがに三周目来まして、プルーフ版が汚くなっちゃってます。
〔※宇多丸さんには発売の約ひと月前に「プルーフ版」という、校正用に製本した『フロム・ヘル』のゲラ刷りをお送りして、早めに読み始めていただきました。〕
 まず、ふつうに一周目の時点で、無類のおもしろさでしたね。最初はちょっと読みづらいというか、とっつきにくい部分もあるんですけど……僕はまったく切り裂きジャックについて明るくなかったんで。でも、読み進めるうちに「こういうことか」ってわかってくるとどんどん、どんどんおもしろくなって。
 で、何しろ二周目以降ですよね! 『ウォッチメン』のときもそうでしたけど。最初はそれこそスイス時計のよく出来た動きを見て「ほー! はー!」となるだけなのが、作者自身による註釈とか、「カモメ捕り」の話を見てからまた(本編に)戻って読むにつれて……だから、いま、三周目でまたこんな余計な(笑)書物をいろいろ買ってですね〔持参の複数の参考文献を聴衆に見せながら〕、読み続けているという次第ですけれども。たぶんみなさんもここの解説(「カモメ捕りのダンス」)どおりになってしまうんじゃないですかね。
柳下:読みづらいという話がありますが、読みづらい理由にはいくつかあると思うんですよ。一つには、マンガじゃないということ。日本のマンガを読みなれていて、これもマンガだと思って読むと、これは明らかにマンガじゃない。手法が全然違って、日本のマンガでこういうコマ割りってありえない。
宇多丸:そうですね。(日本のマンガは)コマ割り自体に動きがあるような表現ですね。
柳下:コマの大きさが……重要度じゃないですか、日本のマンガって。大きなコマのほうが重要で、ちっちゃいコマがつなぎのコマであるっていう。そのコマの大きさで強弱をつけてリズムをつけて、動きを見せている。だけどこれって〔『フロム・ヘル』のページを見ながら〕、アメコミの描き方なんですけど、動きってないんですよね。動きはコマの中だけにあって、たとえばここで〔第五章、p. 22の最初の数コマを見ながら〕ガルが手にもった筆の動きが3コマで表現されてるんですけど、描かれているのは全部動きの途中(の瞬間)で、動き自体は読む人が補完してやらなきゃいけない。しかもこれが、動きとしてはたいした動きじゃなくて、ガルがしゃべりながらしていることですよね。日本のマンガだったらこういうシーンはたぶん描かない。描くと、『ジャンプ』の編集者が……
宇多丸:担当者に怒られるってことですよね(笑)。
柳下:「こんなネームはいらねえよ」ってことになると思うんです。「こんな部分はコマを割るんでなくて絵の動きで説明するのがマンガだ」と。だから全然マンガの見方が違って、この動きと絵の意味というのは、“真っ暗ななかでこの動作をしている、黒いボンネットがみえないぐらい、ホワイトチャペルは真っ暗である”と。当時のホワイトチャペルは街灯ももちろんほとんどないですし、闇の中ですよね、夜は。で、おもしろいのは、光がどこにあるかまで細かく描いてある。本来(この場所で)こんな情景が見えるはずではないんだけど、たまたまこういう光が当たっているから見えます、ということまで説明してあるんですよ。ヒトラーの家のなかでどこに灯りがあるから何が見えている、というようなことって、日本のマンガではここまで考えない……               (光には必ず光源がある↓)
宇多丸:もっと高度に抽象化されたマンガ表現のなかでお約束になった表現ですよね。
柳下:日本のマンガだったらもっと馬車を(闇の中に)浮かび上がらせて描いちゃうと思うんですよ。それはやらないで、暗くて見えないものは見えないように描くということをやってしまう。そういう意味でも文法が日本のマンガと違うんで、(読み手が)たぶん慣れるまでは一枚の絵をじっくり読むということができなくて、普通に読むと読み飛ばしちゃうと思うんですよね。
宇多丸:そうですね。
柳下:日本のマンガのつもりで、ふつうにネームだけ読んでると、たぶん「ネーム多いなあ」とか思いながらふつうに読んでしまうんだろうけど、ほんとはそうじゃなくて、一枚のコマ、一枚の絵の中にすごく……
宇多丸:情報が圧縮されてる。
柳下:それを全部読み取ってやらないと、たぶん読んでることにならない。
宇多丸:……読んでると疲れるっていうのはそういうことですよね。一コマ一コマ読まないといけないんですもん。で、特に最初のほうは、まだ殺人も起こっていない、派手な場面が一つもないなかで、えんえんと、アンタ何言ってんの?!っていうセリフが続くじゃないですか(笑)。
柳下:これ昔よくいわれてたことなんだけど、原書で読んだ人はだいたい四章で挫折するんですよね(笑)。
聴衆:(笑い)
宇多丸:ネトリーと街の中をまわるところですよね。まあ、ネームも多いですし……
柳下:何言ってるんだか分からないですね(笑)。日本語で読んでも何言ってるか分からない。
宇多丸:当たり前ですよね、要するにこれ、キチガイのたわごとという(笑)。非常に緻密に構築されたたわごとということですからね。
柳下:妄想ですから(笑)。ひたすらね。
宇多丸:妄想で、妄想なんですけど、その一つ一つは物語上はのちほどちゃんと意味を持ってくるし、一周してからだと、この一つ一つのたわごとの意味も分かってくるんですけど、最初はキツいですよね、ここ。
柳下:そこで挫折する……全然事件も起きないし、何が起きてるんだろう?と。
宇多丸:何をやろうとしてるのかもわからないですしね。
柳下:そのうち徐々に、一つ一つの要素が意味を持ってきて、すごいなと。
宇多丸:そうですよね。そこで「わあっ…!」ときますもんね。

「『ウォッチメン』を、ドクター・マンハッタンを主人公にして描くとたぶんこういうふうになる」──『フロム・ヘル』の時空感覚

柳下:このマンガの中心的なアイデアがいくつかあって、一つは、ガルの友人だったジェイムズ・ヒントンの息子のC・H・ヒントンっていう人の時空間理論。
宇多丸:
『第四の次元とは何か』っていうやつですね。ネーム多いなあ
柳下:ヴィクトリア時代の科学ロマンとしてSFファンは知っているぐらいの、ちょっと有名なものなんですけど、それは“すべての時間はすでに起こっている──時間というのは第四の次元であって、その軸の上を前後に移動できるように次元としては存在している。すべてのことはすでに起こっていて、そのなかを人間の意識が移動しているだけだ”という……
宇多丸:三次元的な人間の意識では“部分”しか捉えられないけど、常に“全体”が存在しているんだということですね。
柳下:そうですね。人間というのは過去から未来までつながった生き物で、時空間的に四次元の人から見ると、そのムカデのような生き物がいっぱいいて、動いているように見える、と。たまたまわれわれはその三次元の世界だけを見ている、という理論があって、それで最終章でガルがそのすべての時空間をいったりきたりするっていう。
宇多丸:アラン・ムーアのわりと好きな展開の仕方ですよね。ドクター・マンハッタンの述懐とか。
柳下:これはムーアのほかの作品にも出てくる見方で、この作品では時間的にも大過去から現在までつながっている。空間的にもヴィクトリア女王から最下層の人たちまでつながってる。その全体の切片としてバッと切ったのが切り裂きジャック、“切り裂き”ですよね。一断面としてこのマンガがあるわけですけど、世界は過去から未来までずっとつながっているという世界観をマンガで表現することに、この作品でトライしてるんじゃないかと。
宇多丸:切り裂きジャックの事件をとおして、世界全体を描ききる……
柳下:説明するというかね。
宇多丸:やっぱり説明フリークでもありますよね(笑)。すべてのことに対して説明フリークでもある。
柳下:これね、『ウォッチメン』を、ドクター・マンハッタンを主人公にして描くとたぶんこういうふうになる。『ウォッチメン』にドクター・マンハッタンの語りの章がありますよね。
宇多丸:火星に行って、もろもろ振り返るところですよね。あれを全体にわたってやるとこうなるってことですね。
柳下:あそこの部分の時間感覚をもってきている。
宇多丸:最初のほうだと小出しになってるけど、だんだんそういう感覚になってきて……ガル自身も突然、ふと窓の中を覗いたら未来が見えて、窓の反対側の人から見ると、昔のオバケみたいなものが見えるんだけど、という解釈になっていたり。
柳下:あれはうまいですよね。
宇多丸:しかもあれがまた、コマとしては何気ない小さいコマで通り過ぎちゃうから……。
柳下:
そして補遺を見ると、ちゃんと「こういう事件があったんだよ」って書いてあるという。
宇多丸:「あるんだ、裏付け……!」って(笑)。
柳下:第四章のガルの言っているたわごとの部分では、紀元前二千年というような大過去からはじまっていろんな史実をロンドンの場所に当てはめていくわけですよね。時間がつながっているのであれば、すべての土地が過去をもっている。その土地がもってる過去もそこに存在しているので、その場所に自分が居る、ある場所に立つということは、その場所がもつすべての過去を受け止めることである、と。
 歴史上のことだけじゃなくて、人間が考えること、つまりフィクションということですが、第四章でガルが言っている神々についての“史実”も、小説も、心霊現象もフィクションとしては同じですよね。そのすべてをその場所で感じることができる、等価のものとして感じられるというのが、第四章で描いていることだと思うんですね。第十四章ではガルがすべての時空間を旅して、いろんなものを見るということを描いていますが……
宇多丸:第四章で、それと同じことをやっている、と。
柳下:ガルにとっては同じことをやっている。それはつまり、われわれ(読者)にもそれと同じことができるんじゃないか、という話ですよね。
宇多丸:まさにこの本を読むこと自体が、そういう体験でもあるし。

「どの程度ムーアは本気でこの説を……」──ムーアのバランス感覚

宇多丸:だってこれ、(翻訳に)何年間かかったんですか?
柳下:まあ三年、実質的には二年ぐらいですかね。
宇多丸:二年読んでればもう確実に、毒牙にかかってますよ。
柳下:もう僕完璧に、頭がおかしくなってますからね(笑)。
宇多丸:説明フリークであるムーアの理屈と、こういう陰謀論的の人たちの相性のよさというのもありますよね〔ふたたび『最終結論』をとりあげながら〕。こういう人たちって何にでも関連付けて説明できる気になっちゃうところがあるけど、ムーアのはもうちょっと緻密な妄想というか……
柳下:……というかムーアは信じてないですよね。
宇多丸:そこ! 僕、そこの距離感の話なんかも聞きたかったんですけど。どの程度ムーアは本気でこの説を……
柳下:そこに関しては僕もいまひとつよくわからないというか、すごくおもしろくて、特に補遺とか、最後に付いている「カモメ捕りのダンス」とか読むと分かると思うんですけど、ムーアという人はものすごく頭のいい人ですよね。
宇多丸:(「カモメ捕りのダンス」では)すごく突き放して書いてますよね。
柳下:すごく頭がよくて、のめりこまない。のめりこまないんだけど、同時に……のめりこまないと、こんなもの書けないじゃないですか(笑)。そこのバランス感覚が不思議ですよね。
宇多丸:不思議な人ですよね。これを読んでも、ものすごくおもしろいし、こういうことがあったかもしれないという気になるけど、最後の(補遺)を読んで突き放されて……こちらもどうしていいかちょっとわからないぐらいの感じですよね。
柳下:註釈を読んでも、ここは事実でここの部分は自分の創作だとか、ここはこう書いたけどたぶんこれは本当ではないよとか、とても細かい部分までやっているので。本人はたぶん、これ(『フロム・ヘル』の筋書き)はあくまでも“こしらえもの”という捉え方ですよね。……可笑しい話があって、ムーアという人は魔術師なんですよね。
宇多丸:文字通りの意味でね。
柳下:本当に魔術をやってるんです。「言葉の魔術師」というような言い方がありますが、そういう比喩じゃなくて、呪文を唱えて儀式をやって呪いをかけたりとかしてるんです。
宇多丸:こんだけ頭のいい人が。五
柳下:そうなんです。そういうのがもともと大好きなんですよね。オカルトのファンの人たちの大会のようなところにムーアが行ったことがあるらしくて、そこで『フロム・ヘル』の読者がやってきて、「ムーアさん、あれはすごいです! あれは本当ですね。あんなところに五芒線形がある!」と言ってきたので、ムーアが「ロンドンなんて歴史があるんだから、適当な場所をとってつなげば五芒線形なんていくらでもできる」って(笑)。
宇多丸:えーっなんでそんなことを!(笑)
聴衆:(笑い)
宇多丸:またまた、ムーアさん、ちょっと、そんなぁ……あんだけ組み立てといて(笑)。
柳下:いくら説明しても、相手が完璧に信じ込んでいて「これは悪魔の業だ!」だとか言って信じてくれないので、耐えられなくなって行くのを辞めたとか。そういう場所に行くのを辞めただけで、自分独りで魔術はやってるんですけど。

「でも“それだけではない部分があるんじゃないか”ってことを信じてるんじゃないかって気がする」──ムーアのバランス感覚、その2

宇多丸:まさにガルが、ここ(第四章)で言っている理屈みたいなことを考えているんじゃないですか? 自分の理性の部分がガッチリあるのは当然で、でもそれを敢えて切り離すのだっていう理屈を言ってるじゃないですか。魔術師
ここで言っているガルの理屈が、ムーアが考えてることに近いのかなと思ったんですよね。ガルは迷信とかそういうものはくだらんと言って、むしろ科学的な思考の信奉者なんだけれども、それを蘇らせるのに使う手法が魔術的という。
柳下:そうなんですよね。この中でガルも、五人を殺すこと自体、殺すという儀式によって超自然的なことが起こるとは思ってないですね。出てくる超自然的な出来事も、本当に起こってるかどうかはわからないです、だってキチガイの妄想なんだもの。
聴衆:(笑い)
柳下:読んでいると、ガルが殺人のなかにおいて未来を幻視したかのように見えるんですけど、それも所詮……
宇多丸:キチガイの妄想。
柳下:そう、ガルがそう思っているだけで、この人は誰がみても頭がおかしいわけですし。作中でもあいつは頭がおかしいって、えんえんと言われ続けていますからね(笑)。
宇多丸:考えに考え抜いたコントロール・フリークが、自分の理屈の先にちょっとおかしい状態になっていっちゃうというか、そこがちょっとアラン・ムーアっぽいと思うんです。ご自身もきっとそういう作品づくりをしているんじゃないかって。で、最後にまた、シラフに戻っていくというか。だって、おかしくないと作れないでしょう、第十章とかは。コントロール・フリーク
柳下:でもこれ以外の作品を読んでいるとね、結構本気の部分もあるんじゃないかって気もするんですよ。
宇多丸:本気のとこもある?
柳下:(ムーアは)このストーリーはフィクションだと捉えてるし、切り裂きジャックがフリーメイソンの儀式として殺人を犯したというのも、こしらえもの、おもしろいフィクションとしてしか受け止めていないんだけど、じゃあ、それがまったく根も葉もないことかっていうと、そうじゃなくて、つまり、世界のどこかには……何か、真実が(あるかもしれない)。僕がいちばん(ムーアにとって)本当だと思うのは、最後のエピローグのところで老人となったアバーラインとリーズの二人が、“われわれの知らないところで、何か起きているんじゃないか”ということを話し合うシーンがありますよね。“われわれは真実を知っているけど、他の人はほとんど知らない。こういうことがほかにもあるんじゃないか”って。その実感、それがムーアの実感にじゃないかって気がするんです。自分はいろんな本も読んで、わかっていることはわかっている、でも“それだけではない部分があるんじゃないか”ってことを信じてるんじゃないかって気がするんですよ。

柳下: ムーアって人は、僕は実際会ったことはなくて書いたものでしか知らない人ですが、すごく頭のいい人ですね。これぐらい頭がよくて、冷静に陰謀論を読んで「これはくだらないね」ってはっきり言えるぐらいの知性のある人だと、ふつうは不可知論者になっちゃう。というか、“わからないことを考えてもしょうがない。世界の闇なんてものは、関係ないんじゃない?”って言えちゃうと思うんですけど、(ムーアは)それを言わないですよね。自分でもわからないところに何かがあって、精神と神それが人間の本質なんだ、みたいなことをわりと本気で思っていて、本気で言う。
 第四章の、ガルがえんえんとたわ言を言い続けるところで、“議論の余地なく神が存在するのは、われわれの精神の中だ”っていうことを言う場面がありますが、ムーアはこのセリフを自分で書いていて、「ああ、これだ」って思ったって言うんですよね。それから、俺の心の中にある神を蘇らそうというんで魔術師になるんですよね(笑)。魔術師になって、儀式をやって蛇神を呼び起こしたりしてるんですけど(笑)。
宇多丸:そこもやっぱりアーティストの部分ですよね。作品をアートたらしめるためには、不合理な部分も合理的に呼び寄せてるというか……
柳下:“合理的”なんでしょうか(笑)。
宇多丸:でも、ちょっとおかしな状態にもっていって、理屈で考えても出てこないものを出そうという。そこもアーティスト的発想というか、ね。
柳下:魔術師で黒魔術だっていうと、ふつうは悪魔を呼び起こすというような話じゃないですか。ムーアの言っている魔術というのは、人間主義というか、あくまでも人間のなかに何かを起こすという話ですよね。
宇多丸:それがこの作品の中のガルっぽいですよね。すごく重なるんですよね。あんまりこういう読み方をしてはいけないんだろうけど、アラン・ムーアとこの中のガルを重ねちゃうんです。
柳下:“敢えて非合理に踏み込む”っていう部分の重なりは、あると思います。註釈でムーアは、ガルの中に切り裂きジャック的な部分があるとしたら、それはガルの性格の人好きのする部分じゃないかということを書いているんですが(補遺p. 34の左上)、そういう書き方をしているということは、それと一緒でムーアの中にもガル的な部分、この作品における切り裂きジャック的な部分はあるということですよね。自分=(イコール)これ、ではないけれど、この中に自分と近しい部分があって、その部分の表現がこのマンガなんだということでしょうか。
宇多丸:そういうふうに思いましたね。だから、ものすっごい精緻に組み立てられた非合理というところが、“これこそ、アラン・ムーアその人”というような作品なのかなと思いました。何かに対する批評というよりも、むしろ。

「われわれ後世の人間たちが、“これはすごい事件だ”ということで事件をほじくり返して、死体を堀り、えんえんと弄んできた」──結末について
〔このトピックはネタバレ度が高いので、その点ご留意ください。〕

宇多丸:これ、みなさんもう読まれた後だと思うんで、僕も読んでよくわからないことについて質問してもいい時間ですかね? ていうかこれ、一番わかりやすいとこなんですけど、アラン・ムーア自身が註釈で、「そこはまあ、ほら、みなさん自分で考えてくださいヨ!」って言ってる部分があるじゃないですか(笑)。
聴衆:(笑い)
柳下:結末の部分ですよね。
宇多丸:最後の、ガル博士がお旅立ちになる寸前に見る幻ですよね。アイルランドで、女がいて、っていう。これは要するに●●●●●●●●●●●●●●ということですよね。
柳下:はい。
宇多丸:アイルランドでね。見たことのない女がいてね(笑)。
柳下:実はこれ、いろいろ毀誉褒貶ある映画版『フロム・ヘル』、ヒューズ兄弟の映画版──
宇多丸:あの映画版『フロム・ヘル』も、一応そこは受け継いでいる、と(笑)。あれは……オモシロイですよね。
聴衆:(笑い)
柳下:これ(映画版)だけ見ると別に悪い映画とも思わないんですけど、原作読んでから見ると、「ありえねえだろ、これ」っていう……(笑)。
宇多丸:で、この子どもたちに、殺されたみなさんの名前をつけているという理解でいいんですね。で、あの部屋で死んでいるのはたぶん●●●●とか、ってことですよね。
柳下:ですよね。僕が読んでて「あ!」と思ったのは、最後の補遺の「カモメ捕りのダンス」の中でも……あるいは冒頭の献辞で五人の女性に……
宇多丸:“あなたたちの存在だけは確かだ”と。
〔ここでお客さんから間髪入れず、献辞の表現は正確には「存在と死」だという厳しい指摘が入る
宇多丸:あ、「存在と死」、失礼いたしました。
聴衆:(笑い)
柳下:五人の彼女たちの存在と死だけが確かなことだ、というセリフがあります。彼女たちは、本当に死んだわけですよね。五人の女性は惨たらしく殺された。アラン・ムーアも含めた話としてわれわれ後世の人間たちが、“これはすごい事件だ”ということで事件をほじくり返して、死体を堀り、えんえんと弄んできた。それはまさに、彼女たちの死を弄んできてるんじゃないかというふうにムーアは……
宇多丸:さらにその弄び方もねえ、ここ(「カモメ捕りのダンス」)にも書いているけれど、「あんな目に遭ったからには、何かをやったに違いない」という、死んだ人に何かの罪を付すような部分もあったりとか。
柳下:そういうふうにしてきた。当然ムーアはこの作品をやりながらそれを感じていたと思うんですけど、
宇多丸:“俺も同じ穴の狢だ”というようなことは言ってますよね、この中で。
柳下:(結末は)そういうことに関するムーアの罪滅ぼしというか、ムーアの優しさなんじゃないかと思っていて。つまり、彼女たちの死はほんとうだとムーアはわかってるんだけど、彼女たちの死に一つのフィクションとしての救いを用意してあげたんじゃないか、と。ムーアはフィクションを紡ぐ人ですから、彼が与えられる救いというのはフィクションの中での救いでしかないわけですね。でも、死んだメアリー・ケリーという女性、一番酷い目にあった女性、そしてその死後もわれわれが寄ってたかって解剖して、死体写真を見て、解剖してきた死に対する、贖罪というか……救いをここで与えてあげたんじゃないかと。ムーアの優しさなのかなこれは、と思ったんですよ。
宇多丸:そう考えると、ものすごく感動的な一ページですよね、これは。

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以上がイベントの前半からの抜粋です。このあと、
●『フロム・ヘル』の舞台を写真付き(柳下さんの“巡礼”の旅のお土産写真)で巡るスライドショーホークスムア

●アラン・ムーアのその他の作品の解説──幻の作品から邦訳が待たれる超大作までの数々を、実物を見ながら
●ここにはあまり詳細を書けない、楽しい映像の鑑賞
 (右の写真にちらっと映ってますが)
●アラン・ムーアのサイン入り『V For Vendetta』(原書、柳下さんからの倫敦土産)プレゼント(一名様)のためのジャンケン・ゲーム
などがありました。
(その一部はできればまた、ここへの追記のかたちでご報告したいと思っています。)
参加者のみなさんはお腹いっぱい楽しんでくださったかと思います。
柳下さんと宇多丸さん、たいへんお疲れ様でした!

今回イベントに来てくださったみなさんは、お二人のトークへの異常なまでの理解の深さを示す細かいリアクションから(笑)、すでにかなり『フロム・ヘル』を読み込んでおられるツワモノばかりとお見受けしました。
しかしそんなみなさんにとっても、『フロム・ヘル』にいちばん驚かされる瞬間はまだ先にあるのかもしれません。というのも、最初に何回か読んで、それから2、3年してからふと読み返したときにまた、この絵の力、視覚的な表現の底力を真に思い知らされるような本だからです。高価なコミックですので、そんなふうに長くお付き合いいただきたいです。
ご参加のみなさん、お疲れ様でした。


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